…と言っても、アルバイト歴です。すみません。でも、これもちゃんとした職歴でしょ(^_^;)
ただし、お金だけが目的ではなく「+α」…と言うか、「出会い」が目的でしたね。
さて、成果はあったのでしょうか(^・^)
■ アルバイト歴(その1)
アルバイトというものをはじめたのは高専の1年の夏休みからです。あれっ?アルバイトしてよかったんだっけかなぁ…まあ昔の事ですから(^_^;)
「DOMO」という無料情報雑誌でみつけ、地元の海洋科学博物館の目の前にある土産やさん(お店の名前は忘れてしまいました)の2階の喫茶店でアルバイトをしました。
仕事内容はなかなかきつく、ウェイター、ジュース作り、洗い物など全てをこなさなくてはなりませんでした。しかも、夏休みということもあり、時間帯によっては鬼のように混むこともありました。時には1階のお土産売り場を手伝ったり、駐車場の整理を手伝ったりと…それでも時給は500円位でした。まあ、当時としては妥当な時給でしたけどね。
たまに、注文にない飲み物を作ってしまい、後でもらったりなんてこともありましたが、当時の私としては、大変でしたね。
この時は、特に出会いはなかったような。アルバイトは大学生がほとんどで、16歳の私をお姉様方がお相手してくれるはずもありません。ときめきのないアルバイトでした(-_-;)
しかし、ひとつだけ驚いた事がありました。仕事には関係ないのですが…アルバイトのお兄さん(大学1年生)に私の夏休みの宿題を見てもらおうと頼んでみると、なっなんと「それ、今やってるところだよ」という返事がきたのです。
何という事でしょう。大学1年で学ぶものを高専1年で学ばせるとは…難しすぎるはずです。ちなみに内容は、数学の逆三角関数でした。私自身理解できるようになったのは、高専3年ぐらいだったと思います。てなわけで、なんちゅ〜学校にはいってしまったのだろうと驚いたわけです。
■ アルバイト歴(その2)
高専2年の夏休みは中学校(母校)の近くの工場でアルバイトをしました。
ここでの仕事は自動車の配線部分のアセンブリで、十数個のコネクタに数十本の配線を施し、一つの部品に仕上げるものでした。どのコネクタにどの(色)線材をさすのかを覚える必要があり、また、一度に十数本を担当しなければならないので、初めのころは追いつかない(流れ作業でした)ことも多々ありました。さらに、やっと慣れてきたかと思った矢先に、線材の本数が増えてしまったり、違う工程の担当になったりとで、本当に大変でした。それでも、このアルバイトはその後の冬休み、高専3年の夏、冬休みまで続けました。実家から近く、また時給もよかったもので(^_^;)
さて、ここでも出会いはありませんでした。
しかし、ここでは学んだ事があります。それは責任のある仕事は楽しいという事です。喫茶店の仕事に責任が無かった訳ではありませんが、そのことを強く感じたのは、このアルバイトでした。
工場では数十名の方がラインで働いており、一人がミスをしたり、遅れたりすると他の人に迷惑が掛かってしまいます。このような環境下であるため責任というものが付きまとうのです。
しかし、この責任のおかげで中途半端な取り組みはできず、自ずと一生懸命やらなくてはならず、そうすることで仕事を覚えていき、そういった自分や仕事に対し誇りや楽しみを感じられるのだと思います。この事は、実際に就職し仕事を任された時、さらに感じられる事です。
■ アルバイト歴(その3)
無事、高専4年に進級し一人暮らしを始めた私は部活の先輩に紹介して頂いた塾の講師のアルバイトを始めました。塾の講師といっても一度に数名の生徒に教えるのではなく、マンツーマンで教えるものでした。小学生から高校生まで幅広く…と言ってもほとんどが中学生でした。
しかし、教えるのも楽ではありませんね。いや〜大変なものです。
いくら小学校や中学校の勉強がわかっていても教えるとなるとわかっているだけではダメなようです。例えば、小学生にある算数を教える時、中学校で学ぶ方程式を使えばあっという間に解ける問題でも小学生に方程式を使って教える訳にはいかないのです。如何にかみ砕き、学年にあった教え方ができるか…講師(自分)がどれだけ理解できているかがわかります。
特に数学は「こういうものだ!」と覚えがちなので、理解できているつもりでも実際に人に教えようとするとそれが出来ず、自分がわかっていない事に気づくのです。これは、就職してからもいえることで後輩ができ、いざ教えようとすると言葉が出てこない、資料を見ないとわからないという事になりうるのです。
しかし、これは大いにある事で、まれな事ではありません。「自分に後輩ができることで、後輩に教えながら自分も一緒に勉強していく。」これが、世の常でしょう。こういった事を踏まえると、やはり一人前になるには3年は掛かると言われるのもうなづけますね。
お〜っと、かなり真面目なことを書いてしましたね。まあ、これも「語りの館の館長」とよばれる由縁でしょう。
そうそう、出会いはどうだったかと言うと…やはりここでもありませんでした。
でも、逆にここで出会いがあってもやばいでしょう。当時、主に教えていたのは中学3年生でしたから…中学3年生と高専4年(大学1年に相当)が付き合ったりでもしたら犯罪でしょう!まあ、確かに仲の良い子はいましたが、…それを出会いとするならば、出会いはあったと言えるでしょうか。いや、それは悲しすぎ(ーー;)
それにしても、近頃のガキときたら(年輩の方からすれば私も”近頃のガキ”です)ほんと生意気です。特に女の子!講師(私)に向かって「先生」と呼ばないんですよ。苗字を呼び捨てですからね。まったく、男の子の方がよっぽど素直でした。
■ アルバイト歴(その4)
塾の講師のアルバイトは時給は良かったのですが、週2回ということで、新たな出会いも求め掛け持ちで輸入雑貨のお店「BULL DOG」でもアルバイトを始めました。ここは確か4年の冬ぐらいからだったような…
このお店は女性のお客さんが多く、さらに沼津の学園通り(その名の通り高校が立ち並ぶ通り)にあったため、今度こそ出会いがあるだろうと胸膨らませて始めたのですが、アルバイト先の先輩に「ここは出会いはあるが、その先はない」ときっぱりと言われてしまいました。
さらに、私が入った時間帯は午後8時から午前0時までだったため、帰宅途中の女子高生が来るどころか、ちょっと恐いお兄さんやお姉さん方が来店され、違った意味で(万引きの監視)目を光らせておりました。
とは言え、最終的にはアルバイト先で知り合った同い年の女性の友人と出会う事ができたんですけどね(*^_^*)…過去形ですけど
ここでの仕事もやはり大変でした。レジを担当するのでお金の管理が出来ないといけない、迅速な梱包、センスのある商品の陳列、万引きの監視など、今までと違った大変さがありました。
とくに迅速な梱包…アルバイトをはじめて、まず初めに教えて頂いたのが、梱包(プレゼントなどの包装ですね)でした。どんな物も1分以内に梱包しなくてはならないのです。イベント時(クリスマスや、バレンタインなど)には鬼の様な数の梱包があるため1分以内の梱包は必須なのです。おかげでたいていの梱包(包装)は、そこら辺のデパートより上手にできると自負しております。
しかし、いくつの梱包をした事でしょう。バレンタインの時は「これでもか」と言うぐらいチョコレートを籠に詰め込んだ女性が、これまた「これでもか」というぐらいレジの前に並んでいて…あ〜目眩が(@_@;)
と言うか、買ってすぐ「これ、どうぞ」なんて言う奇特なお客さんはいないもんかな〜!と思った事もありましたね。
■ アルバイト歴(その5)
現在のところの最後のアルバイトです。…この先、何があるか分かりませんからね(-_-;)
この仕事は珍しく出会いが目的ではなく、お金を稼ぐ事にありました。まあ、驚くほど時給がよかったわけではありませんが。
仕事の内容は「米久ハム」という会社でのお歳暮の梱包でした。期間限定でボンレスハムや、真空パックされた焼き豚、ハンバーグなど注文書を見ながら、ダンボールに詰めていくものでした。
初めは冷凍保管庫からの積み出しの手伝いだったのですが、防寒具を着ていなかったので寒いったらありゃしない!って感じでした。でも、動いていれば必要なかったんですけどね。
しかし、ここまでして、なぜこの様なアルバイトを始めたか!!
実は、この頃は彼女ができてまだ間も無い時で、しかも、もうすぐクリスマス!となればプレゼントを用意しなくてはなりません。当時(今でも?)パチンコに嵌っていた私に、それまでのアルバイト料が残っているはずもないわけで…
そこで、「BULL DOG」のバイトを含めて毎日アルバイトをし、お金を稼ぎました。なんとも健気じゃあ〜りませんか(:_;)今では考えられない話です、ハイ。