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  サーファー時代  

サーフィンする男
 色白で日焼けなんて言葉が似合わない私であるが故、なかなか信じてもらえませんが、実はサーフィンを嗜んだことがあるんです。そんなサーファー時代の思い出をお送りします。


ウェットスーツ  サーフィンというものを始めたのは、高専4年の冬でした。当時のバイト先(ブルドッグ)のお兄さんに薦められ友人と一緒に始めました。
 ボードは流石に高価なものでしたので、ウェットスーツだけ近くのサーフショップで購入し、ボードは先輩のものを借りていました。
 初めての冬の海はとても寒く、なぜそれがわかっていながらシーガル(半袖、長ズボンのスーツ)を買ったのか今でも謎です(^_^;)

 まずは、ボードの上でうつ伏せになることを教えてもらいました。これが、なかなか難しく、うまくバランスをとらないと落ちてしまうのです。その後、パドリング(うつ伏せのまま腕を廻して泳ぐ)を教えてもらいました。これも上手くやらないと前に進まず、さらに速く進めなくてはならないので難しいものでした。しばらくはこの練習ばかりでした。
 パドリングができるようになると、いよいよボードに乗ります。といってもこれが一番難しく(私だけ?)1年半やった中でまともに乗れたのたほとんどありませんでした(T_T)…しかし、ほんの少しでも乗れた時は、とても感動的でした。

 私たちがよく出没したのは、静岡県の静波海水浴場や神奈川県の由比ヶ浜で、一度伊豆の多々戸浜にも出没しました。この多々戸浜では、翌日には台風が来るという日に行ったので、もう波がすごくて5mぐらいありました。当然、私たちは乗れるはずもなく、それ以前に波打ち際でたつ波が越えられず、力尽きて浜辺で先輩の勇姿を眺めるに至りました。

 このように、サーフィンというものを楽しんでいた私でしたが、二つほどとても困ったことがありました。
 というのも、まず私は目が悪くコンタクトをしているということ、そして肌が弱いため日に焼けると真っ赤になってしまうということがありました。
 コンタクトを外してしまうと、ほとんどがぼやけてしまい、先輩や友人がどこにいるかもわからず、海に入ってしまえば自分がいる場所がどこなのかもわからなくなる始末でした。さらに、だいたい波を待っている時は顔だけ水から出していた(実はボードの上に座れなかったのです)ので顔だけが集中的に焼けてしまい、茹蛸のように真っ赤っかになりひどい時は、自分の顔ではないほど腫れ上がり、リンパ液まで出てきてしまうほどでした。
 これらは私としては致命的であったのと、ほとんど興味本意で始めたのもあったので最終的には長続きせず、学生時代にしかやりませんでした。

 おしまい

 ちなみにウェットスーツはというと部屋のインテリアのなっているのは言うまでもありませんね(:_;)


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