じゅんぺの語りの館 
 HOME > 館長のお部屋 > 私とバスケット
  私とバスケット  

ドリブル!ドリブル!
 今思えば怪我ばかりのバスケットライフだったような…って、振り返ってどうする!まだまだ、体が動く限りは続けますよぉ。唯一できるスポーツですからね(^_^;)


中学編
 それまでスポーツが嫌いだった私にとって、バスケ部に入部するなんてことは物凄い事でして、両親ですら驚いていました。どんな心境の変化かではじめたのか記憶にはありませんが、まともな考えで思い付いた事ではない事は確かでしょう(^_^;)
 バスケットというスポーツはとてつもなくハードなスポーツで、私は1年の夏の合宿中に脱水症状で倒れてしまいました。また、当然といえば当然ですが、バスケットはセンスを問われるスポーツでもあるので、中学3年間はベンチウォーマーでした。(補欠ということ。なんか、寂しい…)

高専編
 高専に入学してからは、「もう、バスケットはやらない」と心に誓い、友人の誘いにものらず、体が硬かったこともあって、まずは体操部に仮入部することにしました。しかし、鉄棒から落ち、首を捻挫したこともあり、自分には合わないと…と言うか、怖くなって敢え無く入部を断念!
 その後どうしたかというと、同じ体育館で活動しているバスケ部に入部してしまいました。当然、誘ってくれた友人には裏切者扱いにされましたが、彼も後々バスケ部に入部し、何かにつけてしごかれる毎日でありました(T_T)

 同級生の新入部員には初心者の人もいたので、少しは経験のある私にとって、当然勝ち目はあると確信していました。
 が、ショックなことに、当時のY部長に「本当にバスケットやってたの?」と言われ、目の前が真っ暗闇になったのを覚えています。

 その一言は、高専5年間を正しく予知するもので、最後の最後までベンチを温めるに至ったのでありました。一日中バスケット漬けになれる合宿では毎年と言ってよいほど怪我(足首の捻挫、両太腿の肉離れ、腰の肉離れなどなど)をしていたこともあって、少しずつ少しずつ置いていかれたんでしょう…そうは言ってもレギュラー奪取のために、これと言った努力はしてなかったような気がします。バンド、バイト、パチンコに明け暮れていましたから。とは言え、これもまた青春の1ページではないかと…

 それでも、最後の高専大会の最終試合では監督から「スリーポイントを決めて来い!!」と言う激とともに後半途中から出場。で、その命の通りスリーポイントを決めて参りました!!沸きあがる歓声は今でも覚えてます…ココだけの話、思い通りのシュートではなかったんですけどね(^_^;)

社会人 東京編
 就職で上京したわけですが近くに友人もおらず知らない街でしたので土日には時間を持余しておりました。まあ、全く暇だったわけではなかったですけどね。当時、付き合っていた彼女もいたし、自宅の周辺はパチンコ屋さんだらけだったし(^_^;)

 そんな中、高専時代の先輩からバスケットのお誘い。スポーツと言えば下手ながらもバスケットしかできない私でしたので、それ以来、週末はバスケットで汗を流しておりました。
 ただ、気掛かりだったのはメンバーの殆どが高専の先輩。全く知らない人ばかりと言うのも私にとっては困ったことなんですが、仲の良い先輩方もいらっしゃいましたが、やはり、上下関係がはっきりしていた世代でしたので、プレーもどこか遠慮がち。ミスした時には口癖となってしまった「すみませ〜ん(T_T)」が炸裂しまくりでした。
 そんな時、私が3年のときのCAPが笑いながら「もう、部活じゃないなだからさ(^_^;)」と…さらに、同級生でありながらも、その存在感と言うか貫禄から入社1年目にして「主任」と呼ばれた某高専バスケ部の主将であり、また、いろんな意味で尊敬できる男に、シュートフォームを評価されたり…それからと言うもの、バスケットと言うものが楽しくなったような気がしました。
 その後、サークル(?)は「BULE DEVILS」と言うチームに発展し、横浜市内の体育館に出没、また、神奈川区の大会にも出場するのでありました。
 …と、チームは発展したものの、私は発展途上のままで、ポジションは相変わらずベンチのままでした(T_T)

社会人 静岡編


 HOME > 館長のお部屋 > 私とバスケット
© 1998 -  じゅんぺ All rights reserved.